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《いつもきれいに》
 「毎日こうであってほしい。」「いつもこうありたいものです。」これらは推薦選抜(1月27日)に備えて行われた大掃除の後の先生方の感想です。2月23日は「学力検査」が行われます。それに伴い20日にまた、大掃除をします。同じような感想が聞かれるに違いありません。
 ある学級通信には大掃除に活躍する生徒の姿がいきいきと描かれていました。一人ひとりが教室をきれいにするためにどのように頑張ったかが見えてきます。しかし、一方ではうまく掃除に参加できない生徒もいました。掃除をすることを悪いことだと考える人はいません。きれいにすることはよいこと。この前提に意義を唱える人はいないと思います。また、心から掃除(きれいにすること)を拒否する人もいないはずです。それでも、実際に掃除をするとなると参加できない人が出てくる。なぜでしょうか。
 私も作業を手伝わなかったことがあります。そこで自分が手伝わなかったときの気持ちを考えてみました。とてもみじめでした。「手伝いたい。」「手伝わなければ。」という気持ちが募る程に体がこわばる。金縛りにあったように作業をかたくなに拒み続けている。友達との心のズレが原因だったかも知れません。タイミングを逃しただけかもしれません。大縄跳びの輪にうまく入り込めずにもじもじする。やがて縄跳びを拒否して去っていく。最後に縄跳びをくだらない遊びと決め付ける。たとえて言えば、そんな流れでしょうか。なんとも個人的な理由です。
 縄跳びの被害は小さいかも知れません。友達が不愉快に思う。縄跳びは不当に悪者にされてもそれ以上のことはありません。でも、掃除は違います。一人でも戦力が必要です。やらなくて済む問題ではありません(遊びと違う)。一人がサボれば一人の負担が確実に増すのです。これを「規範意識」の問題として考えることもできますが、私は基本的な「心」の問題だと考えています。私の場合は金縛り(手伝いたいのに手伝えない)を自分で解決するしかありませんでした。不自然な自己矛盾を解決するのは自分の責任です。それが心の問題なのです。
 良いことに参加できずに悩んでいる人はいませんか。掃除をしなかった生徒は胸が痛みませんでしたか? 参加できない理由は人それぞれです。でも、心の痛みは共通するのではないでしょうか。そして、その痛みを解決するのは「ルール」を強化することに頼るよりも、個人の責任において実践すべき課題であると考えるのです。
 人間は幸せになる権利があると同時に自ら幸せを実現する義務があると思います。さまざまな事件や紛争の背景には「不幸」があるからです。その源流は心の痛みや憎しみしといった小さな滴から始まっています。それがたとえ、宗教・民族・国家的規模になったとしても、不幸の責任を被害者が共有する責務を負うものではありません。
 「毎日こうであってほしい。」「いつもこうありたいものです。」ここにそのヒントが見えてくるように思います。

 

都立日野高校
校長通信
平成21年2月9日
第3号